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図書館の1.17原稿

1.芦屋市立図書館の概要

延床面積 3,007.25平米
蔵書数 約27万冊

2.被害の概要

修理作業は、図書館再開後も図書館運営と並んで進められた。被害状況は次の通り。

ア、本館の建物 完成後8年の芦屋市立図書館本館の基本構造は、しっかりと生き残る。
中庭に面した参考調査室の壁が、逆三角形にひび割れて浮き上がり、この壁が支えていた大窓のはめ込みガラスが粉砕された。その周辺の床は膨らんで浮き上がった。丸柱数本に数箇所のひび割れ。窓枠の蝶番不調多数。外壁クラック数箇所。録音室の機械ボックスがドアに向かって真っ逆さまに倒れ、開閉を妨げる。壁時計・額類の落下あちこち。

イ、駐車場 路面ほとんど不等沈下、亀裂走る。全面修理必要。

ウ、敷地内上下水道 地下埋設部分が数箇所で断裂。

エ、書庫内 図書かなり散乱。備品損壊。3階書庫内の手動式集密移動書架ストッパー不調。使用可能なるも修理必要。

オ、開架室(一般・児童)図書あらかた散乱し、書架間は足の踏み場もなし。書架は南北方向に立ててあるため倒れず。ただし、参考調査室は書架が東西方向に立ててあるため、北向にドミノ様に傾き、図書散乱。カウウンクー上の端末機落ち、あるいはぶら下がる。

カ、事務室 書類・備品類散乱。書棚損壊。

キ、打出分室 部屋の構造は無事。書架倒れ、図書散乱。しかし、分室を取り込んで建てられた打出教育文化センターが大損壊を受け、長期の修理期間を要するため、分室は営業できない状態。

ク、大原分室 大原集会所の中にある分室自体は無事。書架が倒れ、図書散乱。集会所が避難所となり、分室の営業は不可能。

ケ、図書 震災による図書の滅失は、図書館内では4冊。貸出中の図書で、震災滅失特例により除籍とレたもの、平成7年度末で1287冊。

コ、職員 全員無事。ただし、一人の管理職職員は、家屋全壊生埋めとなり、自ら脱出後家族を救出し、その足で着の身着のままの姿で出勤。また、他の管理職職員は、家屋半壊の中脱出し、近所に住む親を全壊家屋から救出後、一番に職場に到着している。こうして3人の係長は駆け付けたが、館長は遠距離のため、当日の午後職場に到着。数日間は管理職職員中心に運営。これに近隣の職員が次第に加わり、一週間後には全職員勤務体制が取れることになった。

3.活動の概要

(1)休館の状況

震災発生即日、全社会教育機関に臨時休館指令出る。すべての施設が建物及び内部に損壊を受け、開館できる状態ではなかった。他方、全行政機関・全教育機関をあげて、目前の災害対策に邁進する必要があった。

(2)避難所の指定

即日、避難所の特別指定を受け、避難所経営に携わることになった。合わせて近隣住民への物資配給センターの役割を担う。以後、基本的に、正規職員は避難所経営、嘱託職員は図書館再開準備作業と任務を分けて難局に当たる。この間、3人の職員を災害対策本部へ派遣している。
連休中の5月6日、全入居者の退去に伴って、避難所経営は終了した。この間、ライフラインに係るボランティアを受け入れたが、避難所経営と図書館運営に関しては、職員のみで対応した。

(3)図書館再開までの特別業務

全国からの寄贈図書をもって、比較的大きい6箇所の避難所に、「避難所文庫」を提供した。図書館避難所にあっては、「24時間図書館文庫」を開設して、入居者に喜ばれた。

(4)再開過程

震災直後から一日も早い図書館の再開を願い、どこか一箇所からでも始めたいと願っていた。結局、条件の整ったところから、次のような過程を辿って再開していったのである。
3月8日 本館再開。損壊箇所の修理は完了せず、2階スペースは避難所を継続しながらの再開である。
4月26日 自動文庫営業再開。従来28ステーション月2回巡回であったところ、とりあえず4ステーションに集約して週単位で重点配車。以後すこしずつ配車箇所を増やしていくことになる。
6月6日 大原分室再開。なお、打出分室は、年が変わって年度末ぎりぎりの3月27日、遂に再開することができた。

4.思い出すこと

(1)行事

こども向け事業「お話の会」「絵本の会」時、避難所任務が終了する5月6日その日、お話グループの方々の熱意が実って再開された。
「金曜シネサロン」の再開は、現図書館オープン記念日の7月7日だった。
「折り紙教室」は、講師と愛好者の熱意により、9月13日、自主事業として復活することになった。
予期せぬ行事がもたらされた。年が平成8年と改まって2月、子育てグループの中から成熟したお話グループにより、「こどものためのお話の世界」が水曜日に繰り広げられることになった。この人達は、人形劇・紙芝居・お話などを作り、演じて、こどもと交流する生涯学習を進めているのである。
近隣の人達と図書館は、図書館避難所の共同生活を通じて改めて人間関係を形成するところがあった。そして平成8年1月から、図書館の行事ではないが、隣接する伊勢町自治会が、月1回の図書館敷地クリーン作戦を展開してくれることになったのである。

(2)記念

芦屋市に格別の救援を送ってくれた青森県八戸市の市民自治創造グループ「八戸コミュニティボード」の人達は、その後八戸市民の木である「いちいの木」を贈ってこられた。雌雄一対の若木は、今図書館駐車場の植え込みに根付いている。

(3)「阪神大震災資料展示会」

図書館は、震災直後から震災関連資料の収集に意を用いている。教育委員さんから強いお勧めがあり、一周年の震災展を図書館で開催すろこととなった。
「マグニチュード7.2がもたらしたもの~阪神大震災 資料展示会~」は、平成8年1月16日から28日に、芦屋市立図書館で開催された。
図書館玄関エントラスに置かれた兵庫県立芦屋高等学校生徒さんの労作「芦屋市被災状況模型」(間口3m、奥行4m)は圧巻であった。
芦屋ビデオクラブの会員さんは、震災直後から街に出、全市くまなく崩壊状況を撮影して彪大なフイルムをストック。これを1時間の作品に編集して、会期中展示会場で常時放映、来館者に与えた感銘は大きかった。永年保存される第一級の震災資料となるであろう。
その後、展示資料は「震災文庫」として保存され、多くの人々の利用に供されている。
震災展の期間中に、お世話になった八戸コミュニティボードの代表団8人の来訪を受け、交流会を持つことができたことは、素晴らしい思い出となったのである。

(4)訪問

避難所経営と図書館再開準備に追われる日々。なんとか他市を見舞わねば、との思いが募る。日頃お付合いのある阪図協関係はご容赦願って、兵庫県立図書館と神戸市立中央図書館を訪問させて頂いた。どちらも建物・設備等に大きな被害を受けておられ、神戸市の場合、図書館職員の災害対策要員派遣の故に、再開の目処が立ちにくい状況であることを知ったのである。
避難所経営が終了したある日、ようやく取れた休日を利用して、久方振りに療養中の母親を家族とともに見舞った。ふと思い立って、そのあと、路を国道175号に取って北上、嬉野台の生涯教育センターを訪問。幸いにも所長補佐の堀井洋一先生がおられ、震災対策のご苦労について伺うことができたのである。この施設が、全国から応援に駆け付けた警察機動隊の出動基地になっていたとは!神戸・阪神から離れ、震災とは無縁に見えたこの場所が、後方基地として昼夜を分かたぬ激動の日々をおくり、職員の方々も大変な苦労を重ねておられたとは。
こういう動きの中で、芦屋市立図書館も、いや芦屋市もようやく復興過程を歩むことができたのだと理解できる。

『図書館の1.17』(平成9年1月17日兵庫県図書館協会発行)執筆原稿から

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